1914年、タリアセンの3400平方フィートの建築物は放火されて焼失しました。1世紀の後、農民たちのチームが悲劇の土地にサステナブルな農場を回復しようとしています。
タリアセンの悲劇は、ライトのプレーリーハウス時代の終わりを告げるものでした。その後の彼の建築スタイルは、ランドスケープと建物との自然な調和へと移行していきます。そしてライトによって2回再建されたタリアセンは、その時代の彼のシグネチャーとなる建築作品と言えます。ウィスコンシン州の石灰岩、傾斜した屋根、屋外の中庭は、家が丘の上にあるように配置されています。また、ライトのキャリア後半の建築に見られるような耐火材の使用や、入り口が隠された要塞のようなレイアウトも取り入れられています。
タリアセンの新しいシェフ、ケイティ・ワイヤーは、現地の農民のジョン・ミドルトンとリディア・ドゥングが率いるチームの一員として、廃棄物をゼロにすることで、持続可能な食料システムをこの土地に復元しようとしています。パティシエとして働いていたシカゴからやって来たケイティは、The School of Architecture at Taliesinの職に就き、この土地で育った食材を使って学生とスタッフのために週に12食を調理しています。
「はじめは季節労働のつもりで、3カ月で学べることを学んで去るはずでした。でもわたしには、農民がやりたいことを自分にも具現化できそうな気してきたんです」と、ケイティは振り返ります。
農民たちのビジョンの一つは、タリアセンを完全に多様化した農場に戻すことです。その地形からウェールズ語で「輝く額」とライトが命名したタリアセンの丘陵地帯には、列に沿って農作物が植えられています。樹齢100年の木はメープルシロップ用に樹液が採取され、ブドウの木はフルーツテーブルワインを生産し、牛は牧草地で自由に放牧され、牛乳と食肉用に利用されています。
さらにタリアセンを、シェフと農家、建築家の自立したコミュニティにすることも計画されています。これは、1932年に設立されたフランク・ロイド・ライトのフェローシッププログラムの一環として行われていたことでした。1934年のタリアセンのパンフレットによると、「このプログラムは、自然な愛おしさの雰囲気の中で、お互いが自発的に協働して、農業、計画、作業、調理、哲学を住みやすいように役立たせるもの」とあります。
タリアセンは、1938年にライトがアリゾナ州のスコッツデールのマクダウェル山脈に建てたタリアセン・ウェストと密接に連携しています。タリアセン・ウェストは、ライト自身とウィスコンシンの住人の冬の隠れ家として貢献してきました。寒い季節を通して、卵、牛乳、バター、チーズ、ジャムは、ウィスコンシンの農場の世話をする人たちからアリゾナの仲間に鉄道で送られました。ケイティは、保存された農産物を同じように出荷して、この伝統を復活させる予定です。
当時のタリアセンは実際コミューンに似ていました。1959年のライトの死の直前に、ウィスコンシンの巡回裁判官は、タリアセンは非営利団体ではなく、実際にはライトの利益のために活動していると判断しています。タリアセンは、ユートピアとして、それとも労働キャンプとして受け取られていたのでしょうか?
「歴史を通して、タリアセンはあまりにも孤立していました。町の人々は彼らを避け、社会主義者と呼んで関わりを避けていました。タリアセンの人々は何が起こっているのか分からず、また分かりたいとも思っていませんでした。それが、人々がまだ知らないタリアセンの歴史なのだと思います」とドゥングは言います。
ライトの死後数年で、農場は近くの農家にリースされました。その後の数十年にわたる消費作物の生産は、土地の劣化と土壌の侵食をもたらしました。これは、ウィスコンシン川から半マイルのところにある栄養豊富な農地の衰退でした。
2001年に、オッタークリーク・オーガニックファームの所有者ゲイリー・ジマーが、タリアセンの農業経営を引き継ぎました。彼の農場改革は、土壌の活性化、農場の有機農法への移行、そしてFazenda Boa Terra有機農場のミドルトンとドゥングのチームで土地を耕すことでした。
この夏、100人のゲストがタリアセンで収穫された食材でディナーを楽しみます。3回のディナーの最初には、タリアセンで放牧された牛の肉を、農場に設置された2つのグリルで炭火調理します。ケイティは、この土地で飼育された動物が調理されて食べられるのは、ライトの時代からこれが初めてだと言います。
2回目のディナーのメインは、近くで飼育された豚の丸焼きです。最後のディナーは、タリアセンのリンゴの木から圧搾されたシードルと組み合わせた、旬の農産物を祝う保存食の発酵食祭りです。これらの3つのディナーの収益は、ライトが設計した農場のどこからでも見える尖塔が特徴のMidway Barnに、新しい活力を与えることでしょう。
「農場とキッチン、そしてファームディナーの目的は、ライトの必ずしもファンでない人で、食べ物と環境、自然の芸術に関心のある人々を連れてくることです。ここに来ることで、彼らはこの場所が何なのか、ライトの遺産とは何であるのかに思い至ることになるはずです」と、ドゥングは語ります。
ライトの自宅だったタリアセンに惹きつけられる前には、農民もケイティも、ライトがオーガニック建築のみならず、オーガニック農業のパイオニアでもあることを知りませんでした。しかし、タリアセンでの居住以来、彼らはライトの教えと生き方からインスピレーションを得て、ウィスコンシン史上最大の悲劇の土地に新しい命を吹き込みました。
ミドルトンは言います。「わたしたちはフランク・ロイド・ライトの遺産を復活させようとしています。面白いことに、歴史的な写真でライトが笑っているのは、農場にいる時だけなんです。ジャガイモのプランターの上で、手で干し草を干しながら。ライトは農業にインスパイアされた人なのです」
Via:
vice.com
fazendaboaterra.com
taliesinpreservation.org
wisconsinhistory.org
archdaily.com